昭和の重力に魂を引かれた漢

小説の感想文、たまぁ~~に雑記

パイロットではなく整備兵視点の特攻『翼に息吹を』

f:id:ryodanchoo:20200720200329j:plain

熊谷達也

 

「特攻」
この言葉を噛み締めるとき、俺も日本人ある以上、相反する様々な思いが駆け巡る。
驚愕、同情、憐憫、尊敬、感謝、恐怖、嫌悪、、、
究極の自己犠牲の美しさと、人間の命を機械の部品のように使い捨てた醜悪さが同居しつつ迫り来て、戦後七十年を経た今でも我等日本人の心をかき乱し続ける。
祖国を守る為、勇猛果敢に散っていた英霊と称えられれば、う~んと唸りたくなるし、だからといって、軍国主義に洗脳された可愛そうな人達みたいな言い方も絶対に納得できない。
求めるのは、美化でも卑下でもなく真実のみである。

昭和二十年、鹿児島知覧基地、主人公は特攻機の整備将校、須崎少尉。
特攻隊員ではなく、整備士からの視点。
パイロットではなく一つ間を空けることで、特攻に対する俯瞰的な描写に成功している。
自ら敵艦に突っ込むことはないとはいえ、過酷な特攻作戦の歯車の一部であることには変わりない。
丹精込めて整備した飛行機が、明日には木端微塵になってしまう。
そしてそれには人間が、決して生還することがない命令を受けた人間が乗っている。
改めて特攻の過酷さ、異様さが浮かび上がってくる。
生き残るためでもない、空中戦で勝つためでもない、必ず死ぬ人間が乗る戦闘機を整備する気持ちとは、如何ほどのものであったろう。

決死の覚悟を定めた隊員の乗機に、万一の不備もあってはならない。
連日の出撃で溢れ返る整備待ち機。
届かない部品、粗悪な潤滑油・燃料。
理不尽な命令。
整備不良で出撃できない隊員から浴びせられる矢の催促。
須崎少尉の抱えるストレスがひしひしと伝わってくる。
前線ではない後方の整備兵とはいえ、戦争というものはこれほど過酷なものなのか。

特攻の感傷的な話ばかりではなく、整備の観点から技術面の言及も多い。
主人公須崎が主に整備を担当する機体、三式戦闘機「飛燕」は、高性能だが非常に整備し辛い液冷エンジンを積んでいる。
俺も技術屋の端くれなんで、ここいら辺の描写は大いに納得することしきり。
開発・設計部門が、性能の追求に躍起になって、生産性やメンテナンス性が後回しになるのはよくあること。
いかに高性能でも稼働しなければ意味がない。
日用品でもそうなのだから、生死を分かつ兵器となれば尚更のこと。
修理しようにも部品が届かない、届いたとしても動員された女学生が加工した部品では、精度が全く出ていない、潤滑油は使い回しが過ぎて真っ黒。
連日の徹夜で疲労困憊の整備兵、これに食料不足の栄養失調が重なり、基地内に赤痢が蔓延する始末。
いかに上層部が徹底抗戦だ、精神力だ、努力と根性でカバーしろと煽り立ててもこれでは勝てない。
詰まる所、近代戦は国家の総合力で決まる。
撃墜された敵戦闘機グラマンを回収した折、漏れ出てきた蜂蜜のような潤滑油をみて、須崎が戦争の行く末を諦観するシーンがあるが、このエピソード等はその最たるものであろう。

特攻作戦の理不尽かつ感傷的な描写と、整備兵技術屋蘊蓄の二本柱で進行しつつ、中盤この物語の核心、特攻隊員・有村少尉が登場する。
何度出撃しても、整備不良を理由に引き返してくる有村少尉。
仲間から卑怯者、臆病者と罵倒されながらも出撃し、徹底的に整備・検査した機体でまたもや帰還してくる。
本来ならば部隊の士気低下を懼れ、後送されるはずなのだがそれもない。
彼は何故戻ってくるのか?
ただの臆病者、命を惜しんでいるだけなのか、それとも別の何かがあるのか?
今作における核心ともいえるこのエピソードが、どうにも曖昧でハッキリしない。
この結末をどう捉えるかで、今作の評価が別れるのでは。

と、書きつつも、有村少尉は単なるエピソードの一つに過ぎず、物語の核心はやはり「特攻」とは何だったのか?ってことなのか、、、
確かに今、感想を纏めるに、有村少尉の結末に拘り過ぎてるような気がする。
「特攻」という歴史に対し、賛美でも卑下でもなく、整備将校という一歩引いた立場から淡々と綴った今作は真実に一番近付いているのではないだろうか。
俺も今ここで、したり顔で感想を述べてはいるが、帰するところ作中須崎が言うように、「特攻」に於ける本当の真実を語れるのは、南海に散っていた方たちだけなのだろう。

>「最後に、尊い命をなくされましたすべての特攻隊員の皆様のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。」
巻末謝辞より引用


また、知覧に行きたくなりました
★★★☆☆


<おまけ>

f:id:ryodanchoo:20200720200515j:plain

調布の掩体壕。 散策中に偶然発見。
壁画に表紙と同じ機体、「飛燕」が描かれてるの解ります?