昭和の重力に魂を引かれた漢

小説の感想文、たまぁ~~に雑記

『光秀の定理』とは?

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垣根涼介

 

歴史小説初挑戦の垣根先生が描く、織田家仕官前、歴史上まだ無名の明智光秀

面白いッ!

書店に並んでる時からそのタイトル、桔梗の旗印を思わせる水色の美しい表紙にこれは面白そうと目星を付けておいたのだが、先日遂に図書館にて発見。
ありがたやありがたや。

期待通りの面白さ。
垣根先生の光秀像バッチリ。いやぁ~羽山作品以来のフィット感。
まさに、これぞ俺が想像する明智光秀という感じ。ピッタンコ。
初の歴史小説だとか。次回作も期待大だなこりゃ。

今作の光秀像、何が良いかと問われればズバリその弱さの描写にある。
名門土岐明智一族の嫡流、頭脳明晰、容姿端麗、戦略戦術にも長け個人としても剣・鉄砲の名手。
雅な佇まいにして文化芸術にも造形が深く、さらには武将として家臣領民の信頼も篤い。
ここまで完璧な人物のその裏、短所弱点にこそ「垣根光秀像」の人間らしい魅力が溢れている。

やっぱ光秀好きだわ俺。
う~~ん、自分とダブらせてんのかね?
それなりに何でもこなすのに、ここぞという時の気の弱さ、線の細さ。
つまらないことでも一々引っ掛かり適当に流せない要領の悪さ。
似てる俺にw
生真面目過ぎてあらゆることに手を抜けない、結局全部背負い込んしまう。
そんなお人好しな自分に自己嫌悪、いっつもイライラするのに直せない。
俺?俺のことか?
っつーか、こーゆーメンタル面の弱さじゃなくて、戦国武将として有能な面が似て欲しかったわ!
あっ、あとハゲね。これはフサフサの俺には関係なしw

さてさてこの魅力的な光秀の生涯、どの時期にスポットを当てるかというと、、、
物語は永禄3(1560)年から始まる。信長に仕官する数年前、未だ光秀が歴史上無名の頃。そして作中月日は流れ、メインは信長上洛時の対六角氏戦の一つ長光寺城攻略。
本能寺でも山崎でもなく長光寺城。渋い!っつーか知らんがな。
ネットで検索かけても長光寺城攻略戦に於ける光秀の活躍振りの詳細は解らず。
城への攻め口は四つ、はたしてどこから攻め上がるべきか?
どこまで史実でどこまでが垣根先生の創作かイマイチ判然とせんが、ある奇抜な方法を用い長光寺城を無傷で落城させる。
そ・れ・が、「光秀の定理(レンマ)」ってこと。

ここまで光秀のことばっか書いてるが、実はこの物語主役は三人。

食い詰めた兵法者・新九郎と辻博打を生業とする謎の坊主・愚息というキャラクターが配置されている。
光秀の定理(レンマ)は、謎の坊主・愚息が行っている辻博打を応用したもの。
~伏せた四つの椀の中に親の愚息が小石が一つ仕込む。これが当たり。
子は四つの中から一つに賭ける。
すると親が外れの二つを取り除く。この時点で再度賭ける椀を確認。
残る椀は二つ、最初に子が賭けた椀ともう一つ。
確率は二つに一つ、50%のはずなのに回を重ねれば重ねる程親が勝つという仕組み。
数学なのか?はたまた心理学なのか?読者諸賢は解りますかな?

俺も光秀も最後の最後、種明かしの後でやっと理解するという体たらく。
その点信長は天才、少しのヒントであっという間に正解へ辿り着く。
何っつーの、天才と秀才の差、さらには凡人との大差を思い知らされるエピソードだなと。
ここいら辺の信長と光秀の初期、時代の破壊者革命児と最強の常識人の幸せな邂逅を感じられるのも今作の魅力。

そうそう主役の三人は勿論、登場人物のキャラ付けが素晴らしいのよ。
いちいち俺の想像とピッタリ。それぞれ大納得の人物像。
光秀は先の通り。愚息と新九郎はオリキャラなんでやや理想的に過ぎるが、その自由奔放な生き様は読者の誰もが好感を抱くだろうし、信長の奇天烈な天才振りもドンピシャ、光秀一の重臣斉藤利三の侠気には感じ入るといった案配。
中でも俺が唸ったのは光秀の盟友、細川藤孝
くぅぅぅーーー来たね、来ましたね。
いや垣根先生さ、タイムスリップして直に本人を御覧になったんじゃありませんことw
それくらいドハマったね。この細川藤孝像は。

明智光秀好きな人で、細川藤孝に好感持ってる人って殆どいないでしょ。
何せ生涯の盟友、しかも縁戚でありながら、本能寺の変の際あっさりと光秀を見限った戦国の薄情者No.1だかんね。
俺も大っ嫌い、関ヶ原のときもホイホイ東軍に付くしよ。兎に角勝ち馬にすがりつくのは天下一品というイメージ。
まぁあの時代、強い者に寄り添うのは当たり前なんだが、それにしても露骨過ぎんだよ細川家。
今作にもまんま、そのまんまのイメージで出て来やがった。
まああぁぁ~~小憎らしいッ!
でも垣根先生それだけじゃないんだよね、藤孝という見事に戦国を生き抜いた男の凄味をありありと描き出してます。
この大っ嫌いな人物に魅力を感じるというなんとも言えない感覚。心地良い。

とベタ褒めのまま最終章、舞台は一気に慶長の御代(1597)へ。
太閤秀吉の治世を嘆き、もし光秀が生きていたらと往時を偲ぶ愚息と新九郎。
あれこれと本能寺の変の真相を語り合ったりするのだが、これは明らかな蛇足。
文禄慶長の役を持ち出して露骨な秀吉批判になったら興醒めだなとも思ったが、そこは上手くバランスを保ちつつ、ふ~~んこのままマッタリと終わるのかな、、、と思いきや!
やってくれます垣根先生。
いや最後のあのワンアクション、参ったね。素晴らしい。
歴史好き、特に光秀ファンには是非ともお薦めしたい。


史書はあるいは歴史の正当性は、常に勝者の側によって作られる。喧伝される。
敗者は、歴史の中で沈黙するのみである。
★★★★☆