昭和の重力に魂を引かれた漢

小説の感想文、たまぁ~~に雑記

ド長文『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで』

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イアン・トール著 村上和久訳

 

著者入魂の太平洋海戦録三部作第一弾。
書店で平積みされているときから気には留めていたのだが、中々読む機会に恵まれず後回しにするうち、二作目の「ガダルカナルからサイパン陥落まで」が刊行されるに至り、

ryodanchoo.hatenablog.com慌てて手に取った次第である。(感想文執筆時、2016年05月の状況)

真珠湾奇襲による開戦から主力空母四隻が撃沈され大敗北したミッドウェイ海戦までの半年間が、日米両海軍のあらゆる階層からの視点をもって活写される。

三年八カ月に及ぶ太平洋戦争に於いて、日本が優勢だった時期をアメリカ側からの視点で検証するのは非常に興味深い。
本書の読者層は、既に先の大戦についてそれなりの知識を有する者が大半であろう。
読書の趣旨としては、既存知識の補強、新しい視点の獲得などであろうが、本書はその知的好奇心に十分応える内容となっている。
本感想文は、太平洋戦争に興味のない方には軍事マニアの戯言になってしまうであろうが、その点は平に御容赦願いたい。

>「われわれが負け犬だったとき」-本書がアメリカで二○一一年に刊行されたとき、≪ウォールストリート・ジャーナル≫はこんな刺激的な見出しをかかげて本書を評した。
~巻末訳者解説より引用

そう、日本は勝っていた。
真珠湾で米太平洋艦隊を壊滅させ、東南アジアの重要拠点、太平洋の島々を次々と占領。
多数の空母と最新鋭の零戦、猛訓練で鍛え抜かれた熟練パイロットで構成された所謂機動部隊は、まさに昭和の無敵艦隊であった。
対してアメリカは、リメンバーパールハーバーのスローガンの下、挙国一致に成功したとはいえ、緒戦の連戦連敗の混乱から脱け出せておらず、極東の小国、劣等の黄色人種と侮っていた日本軍の快進撃に怯えていた。

来るべき勝利の為に牙を研いでいる者を負け犬とは呼ばない。
彼らは確かに混乱し怯えていてはいたが、負け犬は復讐に燃える狼に化けようとしていた。
比して日本海軍は得意の絶頂にあった。
開戦以来連戦連勝、当初の戦争計画より数か月早く目標を達成していた。
最早米英恐るるに足らず。まるでもう戦争に勝利したかのような弛緩した空気に包まれていた。既に大敗北の種は蒔かれているというのに誰も気づかぬまま・・・
万全の態勢で迎え撃つ米太平洋艦隊と油断しきった我が連合艦隊
昭和十七年六月、あらゆる思惑と策謀、そして運という決定的な不確定要素を孕みながら、両艦隊は歴史のターニングポイント、ミッドウェイ沖へと収斂していく。

圧倒的戦力差がありながらの大敗北。
七十年以上前、経過・結果共に完全に把握している歴史上の出来事であるにもかかわらず、これ程心が千々に乱れるものか。
悔しさ、怒り、憤り、虚しさ、あらゆる感情が込み上げてきて平静に読書を進められない。
正規空母四隻、多数の艦載機、そして貴重なる人的資源、熟練パイロットと整備兵を海軍上層部の無謀な作戦と無能な艦隊指揮によって一挙に失ってしまう。戦争とはいえ、これ程の理不尽があろうか。

太平洋戦争、特にこの「ミッドウェイ海戦」では、所謂日本型組織の弱点が如実に浮かび上がっている。
硬直した人事、情報の漏洩、責任の所在の曖昧さ、臨機応変さの欠如、組織内の派閥争い、事実の隠蔽。
あれから七十年経った。我々は歴史の教訓から学んで弱点を克服出来ているだろうか。
最近の社会問題から鑑みるに、残念ながら綿々と受け継がれてしまっていると断じざるを得まい。

同じ人間が運営する組織である以上、米軍にも似たような問題は発生している。
しかし彼らはリーダーが違った。
民主主義と国家主義、ヒーローを渇望する国民性と出る杭は打たれる社会。
年功序列や組織内でのパワーバランスで大方の人事が決定される日本軍とは違い、米軍では優秀な人間がトップに就ける土壌があった。
優秀なトップが人材を適材適所に配置し、現場からの情報を吸い上げ、例え問題が発生したとしても組織全体の方向性を適宜修正しつつ動かしていく。

人事の基本、実力で選別された人材を適材適所に配置する。
この当たり前のことが、日本軍では徹底されていない。
実戦に於ける最重要ポスト、機動部隊の指揮官に適性ではなく序列を優先し、航空戦が専門外の南雲忠一中将を充てるとは何事か。
この一事をもってしても山本五十六の限界を感じる。
実績のないスプルーアンスを抜擢したニミッツとの、トップとしての人事能力差は歴然である。
著者のイアン・トール氏は、ミッドウェイ敗戦の責を一身に背負わされているとして南雲中将に同情的なようだが、致命的な戦術ミス、爆・雷装転換がある以上とても賛同しかねる。

結局のところ、敵機動部隊の撃滅とミッドウェイ島攻略という関係各所の利害を調整した二兎を追う曖昧な作戦立案、機動部隊の指揮官に水雷戦の専門家南雲中将を任命する人事、これらを許容する空気が海軍上層部に蔓延していることが問題なのだ。
国を守る軍人である前に、自らが所属する組織や派閥の権益を保持伸長することが第一の官僚なのである。
まさに現代日本が抱える諸問題とオーバーラップしてくる。
これ程の大敗北ありながら、作戦を無理強いした山本大将は勿論、南雲中将以下幕僚・参謀の誰一人として更迭された者はいない。
健全な組織の原則、信賞必罰も全く機能していない。
そして終戦まで国民に海戦の全容が知らされることはなかった。それどころか敗北の真相を隠すため、生き残った将兵は隔離されるという始末。
昨今、原発事故や続発する東京オリンピック関連の不祥事に於いても、誰も責任を追及されてないではないか。
責任の所在の曖昧さ、身内での庇い合い、そしてその後事実の隠蔽。
七十年前と同じ悪癖を今だに繰り返してることについて、改めて暗澹たる思いにかられる。

さて、もう一つの決定的要素、情報戦の大敗にも触れておかねばなるまい。
兵器の質・量、将兵の練度に劣る米海軍が唯一圧倒的にリードしていた要素、情報戦。
本書でもまるまる一章を割いて詳述している。
太平洋全域で交信される日本軍の無線を傍受、膨大な量の無規則な暗号文から一定の規則性を発見する想像を絶する地道な作業、反目する二つの情報機関、分析情報に疑念を抱く海軍上層部の説得。
著者も多くの歴史家も、ミッドウェイ海戦に於ける米軍最大の功労者は、この情報分析官との声で一致している。
兎に角、この情報収集・分析に対する執念が凄まじい。
二十四時間ハワイの地下施設に籠り、ひたすら暗号文を解析し続ける。その血の滲むような苦行は遂に、日本軍のミッドウェイ作戦をほぼ丸裸にする。
攻撃目標、参加兵力、作戦時期、これら極秘であるはずの重要項目が米側に筒抜けになってしまう。
ここまで手札が読まれていたのでは、いかに良い役を揃えようと勝ち目はない。
それに引き換え、日本軍の機密保持は如何にもお粗末であった。
赤線の娼婦相手に、「次の攻撃目標はミッドウェイだ」と得意げに話す将校もいたという。
日米で情報の重要性にこれ程の格差があっては、最早情報戦と呼ぶのもおこがましい。
日本軍はこのミッドウェイ後も、情報に対する認識の甘さから信じられないような失敗を繰り返していくことになる。

太平洋戦争の転換点、ミッドウェイ海戦を一言で簡潔に纏めるならば、日本軍の敗因は連戦連勝による慢心、米軍の勝因は卓越した情報分析能力ということになろうか。
今更言っても詮無いことではあるが、運も米軍側に傾いていたことは否めない。
しかし、勝利の女神は決して太平洋の東側だけに微笑んでいたわけではない。日本側にも事あるごとにサインは送っていた。
局地的ではあるが米軍の善戦、陸上爆撃機を空母に搭載する奇策を用いた東京初空襲、そして史上初の空母対決である珊瑚海海戦。
特に珊瑚海では、来るべきミッドウェイに於いて活かしうる数多くの戦訓が提示された。
その一つ一つを丹念に検証し改善に繋げた米軍と、気付かず、例え気付いたとしても真剣に取り組まなかった日本軍。
どちらを勝利の女神が気に入るかは言わずもがなであろう。

最後に普段なら気に留めず流してしまう事柄についても語っておきたい。
以前にも太平洋戦争を題材にした別のアメリカ人著者の作品で、改めて気付かされた視点でもある。
それは「敵も同じ人間」であるということ。
私は日本人であるが故に日本軍の被った損害、日本人の死や痛みには非常に敏感に反応する。大いに同情し感傷に浸る。
しかしともすればそれは、米側の痛みについて無関心な状態ともいえる。
アメリカ人は原爆のキノコ雲を見て、戦争終結の象徴と感じるらしい。
あのキノコ雲の下で現出した地獄には、思いが至ってないのである。

戦争である以上、勝利した米軍側にも戦死者があり、数々の悲劇が存在する。
それを今回の読書で、再びはっきりと認識した。
零戦に撃墜されると解っていながら旧式の雷撃機で出撃するパイロット、戦闘後疎らになったガン・ルームの寂しげな描写、爆撃で火の海と化す空母艦内の様子。
どれもこれも戦争の悲惨さをまざまざと突き付けてくる。
この当たり前でありながら、忘れがちな「敵側の痛み」。
これを、もう一度しっかりと心に刻めたことは今回最大の収穫だったかもしれない。

三部作の二作目が「ガダルカナルからサイパン陥落まで」ということは、三作目は「レイテから沖縄まで」ということになろう。
従って日本人読者が心に余裕をもって読書出来るのは、先の第一段上巻までとなる。
無謀な作戦による惨敗に次ぐ惨敗。自暴自棄な戦いがやがて特攻へと続いていく。
極めて陰鬱な読書になることは既に確定しているが、必ずまた此処にて感想を述べることをお約束して、今回はひとまず筆を置きたい。


長文通読感謝
★★★☆☆