昭和の重力に魂を引かれた漢

小説の感想文、たまぁ~~に雑記

凋落の新選組『一刀斎夢録』

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浅田次郎

 

『一路』で

ryodanchoo.hatenablog.com「2015 今年の一冊大賞」を獲った浅田先生と新選組三番隊長・斎藤一、最高の食材を希代のシェフが調理して不味い料理が出来るわけがないッ!

うん確かに美味い、美味いんだが、、、
読書も十年続けてると、最初の頃の感動が薄れてきたというか、、、
本を読み始めた頃で、この面白さだったなら文句なしの四ツ星なんだろうが、、、

大正時代、年老いた斉藤一こと“一刀斎"が、若き陸軍中尉に語る、新選組の真実。

浅田先生十八番の昔語りスタイル。
読者は陸軍中尉梶原になりきって、一刀斎の昔語りに聞き入ります。
京都時代の新選組最盛期ではなく、鳥羽伏見以降がメインなので気が滅入る負け戦の話ばかり。
もうね惨め、悲惨の窮み。
やっぱどうしても華やかな京都時代のイメージが焼き付いてるもんですから、この惨めさは応えます。
死ぬべき時に死ねなかった侍の哀愁。
先に逝った仲間たちへの思い。
生き恥を引き摺る者へ容赦なく降りかかる過酷な運命。
一刀斎の迫真の昔語りに否応なく引き込まれます。

新選組三番隊長・斎藤一
もともと魅力的な素材を、浅田先生の筆力が一段階上のキャラクターに引き上げてます。
しかし基本は暴力の権化。
確乎たる思想信条もなく、ただ眼前に立ち塞がる敵を斬り倒すのみ。
例えこれからの日本に有用な人材だとしても、全く罪のない一般人だとしても、反撃能力のない弱き者だとしても、任務遂行のためには容赦なし。

前回理不尽に行使される暴力に対してあれほど嫌悪感を露わにしておきながら(真藤順丈先生の『RANK』を痛烈に批評した後に書いた感想文です 2019年06月)、今回は特にお咎めなしというこのダブルスタンダード、我ながら呆れます。
一体全体「執行官佐伯」(『RANK』の主人公)と「新選組斉藤」では何が違うのか?

、、、、、、。

ズバリ、美しさなんですよね。
人を殺しといて美しいも醜いもないんですが、生理的好き嫌いは如何ともし難く。
言うまでもありませんがこの場合の美醜とは、容姿ではなく生き様です。
そこではたと思い至るに、殺人という同じ現象で嫌悪に差がでるということは、ぶっちゃけ生き様による差別なのでは?と。
前にも書いたけど、幕末の人斬りなんて紛うことなきテロリストですから。
でも簡単にテロリストとは割り切れない、惻隠の情みたいなものが沸々と湧いてくるのも事実。
罪のない人間を自分の都合だけで容赦なく殺す、この事実に対し、実行者の境遇に鑑みて受け手側に感情の差が生じるというのはある意味非常に恐ろしいことだなと。
どんなに不幸な生い立ちであっても、理不尽に他人に危害を加えていいはずがない。

、、、そうなんです、こんなことをモヤモヤ考えながら読んでも面白さ半減だっつーのッ!
しかし、この小説読んでどうねじ曲がったらこんな感想になるんかね? 相当拗らせてます。
ヤベぇ、何かそれらしいことも書かねぇと、、、

所々に散りばめられている軍隊ウンチクが興味深い。
食事が肉ばかりで魚が恋しいとか、町中で傘が差せないとか。「へぇ~」ボタン連打。
そうですね、あとはやっぱり新選組モノは京都の黄金時代がいいです。
新時代について行けず、食いっぱぐれて乞食になるとか、西南戦争で元隊士が、政府軍と薩摩軍に別れて戦うとか読んでてもう辛過ぎます。
それにしても維新以降、元隊士たちの人生の数奇なこといったら。
改めて侍の時代の終焉って、日本史上における一大ターニングポイントだったなぁと。
物語上、明治天皇崩御して大正に改元するところから始まるんですが、平成から令和に変わる現在ともシンクロして、ひょっとしたら、これから大きく時代が変わっていこうとしている“今”に生きているのかも?って、漠然とした思いが漂いましたね。
願わくば、令和という新時代が日本国民にとって、素晴らしいものになるますように。


難語多過ぎ 手套/手袋とか繃帯/繃帯とか蹶起/決起とか 右側で良くね?
★★★☆☆